平成25年度4月おしらせ

まなびはじめるひとたちへ

「学び」と「こども」は切り離して考えることができません。なぜならこどもは学んで、学ぶことで成長して、そして大きくなって大人の仲間入りをしてくる存在だからです。
量と質の違いはあるかもしれませんが、世界中のこどもたちは学ぶことによって大人の仲間入りを果たすのです。それくらい「学び」はこどもたちにとって、いや社会にとって重要なことなのに、「学び」にたいする動機付け、意味付けは極めて稚拙で危ういものになっていると園長は感じております。卒園式で、春から小学生になる園児たちにいちばん聴いてほしかったのは、「学ぶのは自己利益を拡大するための手段ではないですよ」ということでした。「勉強は自分のためでしょ!」とはよく耳にするような言葉、いや社会全体でそのような「自己利益を拡大するための学び」ということが強くアナウンスされ続けてきたように思います。この「自分のためだからこそ力を出して頑張る」という考え方は実はきわめて有効性の薄い言葉です。人間は人と関わらなければ、そして、社会的に存在を承認されなければ「生きる力」を保持してゆくことができない生き物です。いじめでクラスメートに存在を虐げられたり無視されたりしたこどもが、自ら死んでしまうことを選ぶのは、それが堪え難いことだからです。自分の存在を周囲に認めてもらうことで初めて「生きる力」が湧いてくるのです。生まれたときから赤ちゃんが「オギャーッ!」って泣くのは、自分の存在を認めてもらえなければそれこそ生きてゆけないからです。だから、学ぶのは「じぶんをふくめたみんなのため」だとこどもたちには聴いてほしかったのです。
学ぶことによって知識を得、技術を身につけ、豊かなコミュニケーション能力を発達させるのはみんなで生きやすい生活しやすい社会を築いてゆくためです。そして、みんなのためにがんばっていると思うことで、生きる力を振り絞って成長していってほしいと望むからです。
新学期そうそうちょっと表現が重かったかな?

平成25年度5月おしらせ

幼児期の教育とは。

 心も身体も、そして脳も大きな成長期にある幼児期のこどもたちにとって、一番重要なことは、これから学び、友人をつくり、社会性を持って成長するために必要な基礎を身につけることです。そのためには、よく身体を動かして運動し、様々な環境に身体をさらして、答えのない問題に繰り返し向き合うことが必要です。
幼稚園では年少さんの夏から水泳、年中さんからは英語、年長さんではお習字、ドリル演奏などなど成果の明快な活動も行っておりますが、幼稚園の数年間を通して継続するもっとも大切な教育は、そうしたなかなか計ることの難しい育ちの基礎の部分です。
 幼児期に風邪を全くひかなければ、こどもの身体の免疫系は鍛えられません。知育ばかりを重視して運動しなければ、知性を担うべき脳が発達しません。ワァーッ!!!っと大声をあげてはしゃぐことなしには、落ち着いて集中する力はつきません。実利的なことばかりを重点的に身に付け、絵を楽しんだり音楽を楽しんだりする心をおろそかにすれば、人生の途中で生きる意味を見失うかもしれません。すべての能力においてパーフェクトでも、人と関わり力をあわせてゆくことができなければ、生きていくのは困難でしょう。
そして、こどもたちの成長はまちまちで、規格品のように年齢に合わせた能力を身につけるとはかぎりません。そんなときは、大人だからこそできることは、「待つ」ことです。
 たとえば、こどもの言葉が遅いと大人たちはまず心配しますが、言葉を覚え、話す準備として最も重要なことは「聴く」ことなんだそうです。そして、周囲の誰より遅く話し始めたこどもの言葉が一番豊かであったということもあると、これは小説家で大学の先生をしておられる方が言っておられます。
 さて、今年もだんだん暖かくなり、園児たちが外ですごす時間も長くなってきました。もう少し暑くなると「どろんこ」が始まりますし、暑い盛りの「水遊び」では、園児たちは本当に興奮して、大声をあげてはしゃぎ、お寺の境内を暴れ回ります。
園児たちが健やかに成長できるよう、大人の余裕をもって、見守りたいものです。

平成25年度6月おしらせ

幼稚園の絵のポイントはね、

 幼稚園教育では算数や国語でなくてたくさんの絵を描きます。もちろん、絵を描くことが楽しいからだけじゃありません。こどもたちの発達にあわせて、必要な時期に必要な教育を行っているのです。自分の思ったことを表現すること、よく見て観察すること、物事に興味をもつこと、熱中する力をつけること、手や道具を上手に使えるようになるためのトレーニング。様々なことをこどもたちは絵を描くことをとおして身につけてゆくのです。そこでは、どのような絵を評価するかということも、こどもたちの「やる気」「制作に向かう姿勢」を左右する大事なポイントになります。こどもたちは「褒められること」にたいしてとても敏感です。それは単純にうれしいということだけでなく、自分の存在を認めてもらうという事が、生きて行く上でとても重要なポイントを占めている事を知っているからです。だから先生がどんな絵を評価するかでこどもたちの「絵を描くこと」の意味は大きく違って来ることになります。思い込みで固まったイメージを小手先で描くような絵を評価すれば、こどもたちを思い込みに囚われたカチコチの頭にしてしまう可能性だってあるのです。
 「絵を描く」ということは世界との出会いです。もう何度もふれて慣れ親しんだもののなかにも新しい驚き、面白さは存在します。そうやって何度でも世界と出会い直すことのできる柔軟さは、科学者の視点であり、芸術家の心であり、哲学者の立脚点であります。なにごとも「もう分かった」と切り捨てて、思考停止に陥ってしまうともうその人間は成長しません。こどもたちが成長を続けるためにとても必要なこの姿勢を はくい幼稚園で「絵を描く」ことをとおして育んでいってもらいたいと望んでおります。さて、もうじき「バザー、作品展」ですね。今年もこどもたちの興味と柔軟な思考をひきだせるように先生方は準備中でございます。どうぞ、どんな我が子の作品に出会うのか、おたのしみに。

平成25年度7月おしらせ

この頃オススメの本

「子どもたちが勉強しない」と言われております。勉強しないというより勉強をする気を失ったように園長には見えます(いろいろな本やニュースを通してですが)。
かって、子ども達が勉強するモチベーションは「このまま頑張っていればよりステキな未来に出会える」という根拠の無い希望に支えられていたように思います。上り調子の時代で雰囲気に支えられていたと言ってよいかもしれません。経済的な成長期を終えた日本では成長期のロジックは通用しなくなった、よりよい生活を手に入れるための勉強という動機付けを検証しなければならないと言われる方も出てきました。そんななかで園長の目にとまったのが「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」という新刊本です(発行が6月24日なのでほんとうにホヤホヤ)。一応(失礼します)幼稚園の園長ということもあって読みました。8人の識者の方が執筆しておられて、どれもなるほどで視界が開けるようなお話ですが、特に生物学者の福岡伸一さんの書かれたことに感銘を受けましたのでここで 簡単ですが紹介したいと思います。それは、『勉強すれば「思い込み」から自由になれる』ということです。そして、「自由であることは、(つかの間の自由ではなく)ありのままの自分でいられること」という所です。お坊さんモードになって言いますと、この言葉はお釈迦様の教えにとっても近いです。「私たちは何のために生きておるのか、それは今ここにある自分を生き抜くためである」という わかったような、ややこしいような、でもすごいことだと思うのですが、それにとっても似ているなぁと思います。こんな言葉に将来の園児たち、保護者の皆様方にふれていただきたいなぁと考えて今回ご紹介した次第です。興味をお持ちになられた方はご一読あれ。

平成25年度夏季保育おしらせ

どろんこ、みずあそび。

 どろんことみずあそびについて、はくい幼稚園の園長になってから毎年一回は書いてきました。ことし初めて園長のどろんこみずあそびについて読む保護者の方もおられると思いますが、「ははーん、また体験がどうのこうの書くのだな」とお思いのベテラン保護者のかたもいらっしゃると思って、今回はすこし志向を変えて書いてみようと思います(結局同じだったりして)。
 ごぞんじの保護者さんも多いと思いますが、園長は6月、7月のどろんこあそびと7月8月のみずあそびをとても大切にしております。どろんこあそびでは「とことんどろどろになって、汚くて、汚れすぎててどうでもよくなって笑えてくるくらい」ってのを一つの目標にしております。どうしてそんなことが大事なのか、それは幼児期にへろへろになるくらいとことん遊んだ経験が、これからの人生の困難なときにおいて重要な支えになると考えているからです。幼少期にとことん遊ばないと人間として大切な心の基礎ができないのです。それもゲームやブロックやままごとと言ったタイプの遊びではなくて、ただ駆け回り、興奮するような遊びです。きっとそうやって、とことんはしゃいで遊ぶことで自分の存在を無条件に肯定できるのだと思います。親に無条件で愛情を注いでもらうこと、先生に無条件で親身になってもらうこと、無条件ってことは重要なんです。
 さいごに、園長が重要視するどろんこは先生方の根気と頑張り、汚れ物を洗濯するご家族のご理解に支えられています。園長は「とことん汚れろ!」とあおるばかりですが、どろんこが終わって、園児ひとりひとりの泥を落としてあげて、着替えさせる役割を毎日根気よく行っているのは先生方です。ここで先生方、ご家族の方々にお礼を申し上げて今回の文章をおわりたいと思います「いつもご苦労さまです、ありがとうございます」。
 これまで園長が書いたどろんこみずあそびについては園のホームページに全てストックされておりますから、興味を感じた方はごらんあれ。

平成25年度9月おしらせ

子育てで最も大切なこと

 園長がこれまで読んだ本のなかで、子育てにおいて「これこそは大事だ!」と受けとめたことについて書きたいと思います。しかも、そのことは、園長が「このひとは考えが深いなぁ、信頼できるなぁ」と思っている三名の著者がそれぞれに書いているのです。
それは、無条件に愛情を受けることができないこどもの苦しみについて。そして、親から無条件に愛情をそそがれることの大切さです。
 ひとりは南直哉さんという曹洞宗のお坊さん。「恐山」(新潮新書)という著書のなかで、親子関係が「お父さん、お母さんの言うことを聞くならば愛してあげましょう」という取引の関係であったひとについて、そのひとたちが大人になっても心因性の病気に苦しんだことを具体的に書いておられます。

 (親子関係が)『「お父さん、お母さんの言うことを聞くならば愛してあげましょう」という取引の関係になってしまっている。ここが問題なんです。しかもそれは親本人に自覚がない。子どものためを思って、よかれと思ってやっているのです。「お前のためを思って言ってるんだ」。そういう親はみんなそう言います。
 ところが関係の基礎に「言うことを聞くなら愛してあげる」が埋まっていると、これはきつい。』新潮新書「恐山」南 直哉 著 より抜粋

 『人間は、「あなたが何もできなくても、何も価値がなくても、そこにあなたが今いてくれるだけでうれしい」と誰かに受け止めてもらわない限りは、自分という存在が生きる意味や価値、つまり魂を知ることは絶対にできません。それは自分ひとりの力では見つけることができないものなのです。』新潮新書「恐山」南 直哉 著 より抜粋

 もうひとりは安富歩さん、東京大学の先生ですが、自身のことを通して「生きる技法」(青灯社)という本で書かれています。安富さんは、母親から、愛情のフリをして 自分に都合のよい子供であることを強いられていたと書いておられます。そして、親の期待に添えないことに対して罪悪感を感じるようにまでなった結果、強い自殺衝動に苦しんだそうです。
 岸田秀という精神学者の方も、なんでも言うことをきいて育ててくれた、岸田さんにとってやさしかった母親が、暗黙のうちに、つよく母親の考えたとおりに育てようとしたことで、岸田さんは神経症を患いひどく苦しんだと、「幻想に生きる親子たち」(文藝春秋)のなかで書いておられます。

 今回はなかなか重たい内容となりましたが、園長自身とても考えさせられた事柄であります。「そんなおすそわけはいらん!」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、園長の感銘をお、す、そ、わ、け。

平成25年度10月おしらせ

「じぶんのため」は正しい?

 何を言っても勉強しないこどもに お父さんお母さんが一度は言ってしまいそうな言葉、それは「勉強するのは自分のためでしょ!」ということ。それで効果があるとよいのですが、たいていはそれでもこどもは勉強しないままです。よくよく見渡すと私たちの生活には「自分のため」があふれています。「自分にあった仕事」「自分にふさわしい相手」等々。仏の教えでみるとこの「自分のため」とは果たして正しいのでしょうか?
 仏教では自利利他と言い「自分のために努力し、そして他人のために尽くせ」と教えています。親鸞さんは「自利利他円満」と言い「自分だけよければよいのではない、みんな共々にでなければならんのだ」とおっしゃいました。「一切の衆生が救われなければ私は仏にならない」と誓いをたてた阿弥陀如来さんは究極の「みな共々に」であります。仏教では「自分のため」と同時に必ず「他人のため」がセットとしてあります。
 ところで、「自分のためでしょ」と言われたこどもはどうしてそれでも勉強を始めないのでしょうか?実は「あの時勉強しておけばよかった」という気持ちは、大人になって勉強しなかった事の果(結果)に遭遇したから強く思うのであって、大人にはわかるけどこどもには「何それ?」って論理なのであります。そもそも勉強しなかった事を悔やむ大人も、自分が果に遭遇しなかったことについては全く悔やんだりしません。例えばピアノの練習を小さいうちに始めておけばよかったという後悔は、音大に進学したいと思わなければ生まれて来ないのです。ですから「勉強するのは自分のため」という論理を何百回繰り返してもあまり効果は期待できません。ならば、仏教で「自利」にくっついて来る「利他」を活用するのはいかがでしょうか。
「人間はひとりでは生きてゆけない生きものなんだ。お互いに頼り合って、役に立ちあって生きてゆくんだ。おまえが勉強するのは、社会の一員として自分を役立て、頼りにされるためになんだ。そして、役に立つ、頼りにされるということは自分の人生を満足したものにするために必要不可欠なものなんだ。だから、自分の人生を満足のいくものにするために勉強しなさい。」
 なかなかすごいキレイゴトにも聞こえる言葉ですが、園長はこれは本当のことだと思います。そして、園児たちの年齢なら素直にこのことの大事さを理解してくれると思います。

平成25年度11月おしらせ

わるいことはいらないことじゃない。

 こどもがすくすく順調に、まっすぐに育っていってほしいと思うのは親心。いつも友だちに囲まれて、明るく楽しそうにしている我が子を見ていたいものですが、うまくいかないことの葛藤なしにはこどもの心は成長しません。ともだちとのおりあいがつかなくてひとりぼっちでいる、がんばってやったことが報われなくてしょんぼりしている、そんな姿を見ると親の方が心配になりますが、そんな経験をしたときの心の葛藤が心を育てることもあるのです。もちろん、度を越して問題を抱えることはこどもの心を蝕んでしまいますが、かといって常に全てにおいて順調に楽しく生活ができていればよいというものでもないのです。
 こどもがおとなになるために必要なことは、成熟することです。成熟するためには悩み、繰り返し考えることが不可欠です。うまくいかない苦しいことにいき当たるからこそ、悩み、考え、成熟する機会を子ども達は得るのです。
 もう少し長い視点で見るならば、こどもたちにとって成長過程での挫折は必要なものです、上手く運びすぎる人生にこそ注意が必要です。苦しいことがなければ楽しいはずのことも色あせてしまう、仏法ではそう考えます。挫折を得ることはそれまでの自分を客観視し、生きることについて考える貴重な機会を得ることでもあるのです。
こどもたちにしっかりと人生を歩んでもらいたいと願うのならば、苦しみを取り除いてばかりいるのではなくて、苦境にあるときのこどもたちを支えてあげるべきなのでしょう。

平成25年度12月おしらせ

学習回路をひらく

 園長がむかし美術大学でCG(コンピューターグラフィック)の授業を持っていたときに、ちょっと手を焼いたことがあります。ちょうどその時代の流行でもありましたが、何事も「オレってこうだからさー」というキャラで授業に出て来る学生さんがいました。まだ20歳そこそこなのに「オレはこう」とか「オレ式」とかいうことにいちいちこだわっているのです。それでどうして手を焼いたかと言うと学びが遅いんです。教えてもなかなか素直に受け入れてくれないので先に進めないのです。
 たしかに現代社会では、「しっかりと自分を持ちなさい」とか「確固とした私」とか言いますね。だから、「オレってこうだから」って誇らしげにいう人は世間の価値観をとても素直に受けとめているひとだとも言えます。でも、そうやって自分を固定すると新しいことを学ぶ能力は格段に落ちます。学ぶの語源は「まねぶ(真似ぶ)」です、真似て自分が変化することが学ぶことの意味なのです。だから「私はこうだ」と固定してしまった人は年齢にかかわらず学びから遠のいてしまいます。毎度の坊さん視点になりますが、仏法では「不変の、確固とした私はない」と教えています。私を含めたすべてのものは「無常」留まることなく変化し続けるものです。その「無常」に自分を沿わせて生きて行くことが大切だといいます。
 最強の学習姿勢というものは「興味を持つ」ということと、「私はどんなひとかわからない」という心持ちです。たくさん知識を詰め込んでも学習回路がひらくわけではありません。「わたしはまだ何もしらない、わたしもわからない」という自覚こそが学習回路をひらくのです。「わたしはこうだ」と日々思いがちの大人の方もご注意あれ。

平成25年度1月おしらせ

子育てについて考える

 幼稚園、幼児教育の世界では、どのように育てればしっかりした人間に育つかということが大切にされます。いろんな専門家のひとが脳科学や発達についての知識をもとに子育ての方法を提案されております。こどもを天才にする子育て、こどもの能力をのばす子育て、中にはこどものことを思ってのことなのか、大人の欲望を子育てに反映しているのか判断が難しい子育て方法もあります。誰もが同意する正しい子育て方法でも、時に教育熱心になりすぎることでこどもに負担をかけてしまうこともあり得ます。どれだけ心がけていても私たち人間はときに間違う存在なのです。こんなこと言うと心配されるかもしれませんが、幼稚園だって過剰になれば間違う可能性があります。
 そんななかで、これだけは忘れたくないと思うことを書き出してみました。
それは、
幼児期のこどもたちにとって家族に無条件で愛される事が重要なこと、
幼児期のこどもたちは親を無条件で信じているということ、
幼児期のこどもたちにとって待ってもらうのが必要なこと、
幼児期のこどもたちにとって順調と便利はちっとも成長に役立たないこと、
まだ後から思いつくかも知れませんが、以上の4つです。
 こどもたちは自分のまわりを真似て学びます。だから昔から「こどもは親の背中をみて育つ」っていうのです。ときには子育てのことじゃなくって大人たちが自分自身を振り返ってみることも大切です。親が聖人君子ならこどもが立派に育つというわけでもないようです。大人がどんなふうに振る舞ったらこどもが立派に育つか、園長にもよくわかりませんが、うえにあげた4つは間違っていないと思います。

平成25年度2月おしらせ

免疫をそだてる。

 ノロウィルスの流行がニュースにあがるようになりました。インフルエンザの流行る季節でもあります。この時期園ではノロウィルス、インフルエンザの拡大防止策を用意していますが、思わぬ感染経路をへて流行に至るケースもあり、完全に封じ込めることの難しさを感じておるのも事実です。そこで、こどもが病気にかからないための最後の防壁はと考えて、それはこどもたち自身の身体の免疫力になると至りました。それで、こどもたちの免疫力を強くするためにはどうしたらよいのか調べてみると。「衛生的な環境で、快適な温度管理のもとにおかれるこどもの免疫機能は低下する傾向にある」と、免疫治療に携わるお医者さんがおっしゃっておりました。あれれっ、こどもを病気にしないためによかれと思ってやっていることがこどもたちの免疫能力を下げている。そして、夜更かしや甘いもののとりすぎ、運動の量も免疫機能の状態に影響するとのこと。ここのところを指摘されると(親として)心の痛いところであります。
 それではなにがこどもたちの免疫力を強くしてくれるかというと、規則正しい生活、よく噛んで食べる(かたい食べ物)、鼻呼吸する、冷暖房の利用を控える、適度な運動、よい姿勢、もちろん良好な栄養バランス、だそうです。
 病気にならないですむように清潔にしたら身体の免疫力が弱くなりました。病気を退治するためにお薬を使ったら薬に負けない菌がでてきました。わたしたちの生きている世界はそんな一筋縄ではいかない世界です。仏教では風邪をひくことも生きるための大切な縁として受けとめる考え方がありますが、そこまで悟らなくとも、病気はなにがなんでもかからないものではなく、かかったときはこどもの免疫の訓練になるのだと、広い視点で受けとめる必要があると思った次第です。

平成25年度3月おしらせ

絵で賞をとる

 全国教育美術展というのがあります。毎年数名の園児が賞をいただいておりますが、今年は特選の子を含めて7人の園児が受賞しました。おまけに園も地区学校賞というのをいただきました。とても有難いことです。園長が言っても説得力がないかも知れませんが、はくい幼稚園の園児たちが描く絵は全体的によいです。その全体的によいという環境があるからたくさん賞をいただく園児が出てくるのです。園児たち、よくやりました。そして現場の先生も、よくやりました。
 元美大の講師として声を大にして言わせていただくと、こどもの絵の評価は難しいのです。正確なデッサンの方法を教えるくらいだと逆に表現が縮んでしまう、絵ばかり描かせていても新鮮さが失われてしまう。幼稚園児で絵を評価されるということは、単に絵が上手であるという評価にとどまらないのです。身体を動かし、友達とコミュニケーションがとれて、言葉が発達し、豊かな心が育っている証だと考えてよいことなのです。だから園児の絵が評価されると幼稚園という場そのものが評価されたように思えて園長は嬉しいのです。
 逆にちょっと可哀想なのは、一度絵を評価されると、もっと褒められたいという心が邪魔をして、表現を硬直させてしまうことがある。いや、こどもは褒められることが大好きだからよくあります。だから評価されるこどもの絵をみていると、必ずしも絵の好きな、絵の上手いこどもが賞をいただくわけでありません。ほんとうに、自分が評価されるなんて考えてもいなくてのびのびと描いた絵が評価される。絵で評価されたいという気持ちが強いこどもほど賞から遠ざかってしまうのです。それをみているのは可哀想だけど、そうやって悲しい気持ちになることも心の表現力を育む大切な要素。もし、大人になってプロとして絵の世界に入るのであれば、そこは努力と才能の世界。絵を描くことを嫌いにならずにこれからもせっせと描くことを楽しんでほしいと思います。
 将来画家になる予定でないこどもたち、世間一般では絵を描く能力よりも計算ができたり、言葉を覚えたりする能力のほうが大切であるかのように言われますが、これからは絵を描く心を持った大人がもっと大事になります。iPhoneを発明したアップルのスティーブジョブズさんはデザインも学んだアーティストの心を持つ経営者でした。優秀な科学者に不可欠だとされるのは発想の柔軟さ、これも絵を楽しむ心なしには育たないことです。いまの環境で上手い下手と思い込んだりせずに、これからも絵を描いて表現することを楽しんで下さい。ぜったい役にたつから!