今月のえんちょうのことば

えんちょうが毎月あたまをひねって絞り出したことばです。
お坊さんモードでお話いたします。

子育てとカルト

カルト宗教に注目が集まっています。幼児教育とカルト宗教、なんの関係もないようですが、こどもが進学したり、就職してひとり暮らしをはじめるときの心配はカルト宗教の勧誘というはなしも見たので、宗教関係者である園長が一文書かせていただきます。
まず、宗教は危ないという印象がありますね。実際危ない宗教は世界中たくさんあるので、事実でもあります。だから、宗教には関わらないで、という生活を心がけるのですけど、人間の心はおよそ宗教というものなしで生活できないので、宗教と無関係に生活するということが困難です。
宗教とは「宗」、ものの中心となるものについての教えです。中心だからべつに仏教とかキリスト教とかでなくとも誰にでもあるものです。私たちは生活のなかでいろいろな出来事に遭います。そのとき、判断するでしょ、良いとか悪いとか、立派だとか、みっともないとか。その判断の基になるものが広い意味での宗教です。人生金がすべて、は立派に判断の基になります。ルックスがすべて、と考えるひともいるし、教養こそ人間の価値と信じるひともいます。園長はお寺生まれですが、都会で生活していたときは無宗教派でした。でも、生活の中心がないのではなく、やっていた美術を基準にして物事を見、判断していました。宗教とはいわば自分のたちばです。大事だと考えていることです。だから、無宗教でいるというわけにはいかないのです。
人間が生きて生活するということは、いろんなことに遭うということです。学校や職場の人間関係で悩んだり、病気や挫折で思った自分を生きることができなかったり。
順調な人生を歩むことが一番だ、という考えも宗教と言えます。だけど、「順調な人生こそ」と考えているほど人生に躓いたときに混乱し迷います。そういうとき、「あなたの気持ちはわかるよ、他のひとたちが間違っているんだよ」とか、「みんな真実を知らない、あなたはその真実に目覚めたんだ」なんて言われたらコロコロと転がってしまうのではないですか。誰も彼もが転がる可能性を抱えて生活しているのです。だから、こどもが独り立ちするまでに、多少は宗教というものについて考えることは大切なんではないでしょうか。
人間は生きている間いろいろなものを求めて悪戦苦闘します。けれど、何を得ても最後はみんなこの世を去って行きます。「どうせ死ぬのになぜ生きる」という問いは中学生の頃に起きてきます。この問題を引き受けるものがなければ、たとえ学業が順調でも、健康でも悩み苦しむことになります。習い事に集中したり、上手に楽しんだりして忘れることもできますが、やはりここはしっかりと悩んだほうがいいところです。この頃のこどもに人気のある漫画って、なにかひとつ考えさせられる深刻なものがありますね、ちゃんとこどもたちの問題を反映しているのだと思うのです。ここでぜひ仏教を!とは申しませんが、そうした心の悩みを受けとめるような文学、哲学にふれることは必要なのではないでしょうか。
どんな宗教が危ないですかって、それは宗教にかぎらずうまい話とやたら親切なひとでしょう。もうけ話は要注意ですね、それから、「ウチの教えを信じないと不幸になるぞ、どうなってもいいのか」と脅してくる宗教も危険です。さっき書いたセリフ「あなたの気持ちはわかるよ、他のひとたちが間違っているんだよ」「みんな真実を知らない、あなたはその真実に目覚めたんだ」というのも怖いですね。ひとむかし前はお金を要求される宗教は危険って言われましたが、ハマってしまえば後からでもお金をとれるわけですから、お金に関係なく要注意。

えんちょう先生