今月のえんちょうのことば

えんちょうが毎月あたまをひねって絞り出したことばです。
お坊さんモードでお話いたします。

し つ け

こどものしつけをどうしよう。あれこれ細かく注意するけど、こどもは全然行儀よくなってくれない。子育てのあるあるではないでしょうか。「ひとが見ているでしょ」なんて言うことがありますが、ひとが見ているから行儀よくしなくちゃいけないなんて、こどもには理解できない理屈です。行儀の大切さは、「ひとに見られる」からではなくて、社会で他人同士お互いを尊重して生活するために必要だからです。人間は我儘ですから、行儀でもって周囲との摩擦を減らさなくては生きるのが大変だからです。こどもだって「理」で考えているのです。ですから、「お行儀よくするのは生きやすくするため」と丁寧につたえたほうがよいのです。
そして、こどもに行儀よくしておいて欲しいのであれば、一番効果があるのはずばり!家族みんなが行儀よくするです。それも普段から、あたりまえのように。なぜなら、人間の行動に一番大きくはたらくのは周囲、環境だからです。日本に生まれたこどもは何もしなくても日本語を覚えて、習慣的にも日本人になりますね。なにもしなかったらアメリカ人になったとかありませんよね。そういうことです。家族てきにそれは無理、というなら、こどものこともある程度は大目にみてあげるべきでしょう。それから、お行儀なんか忘れて「ゔぁーっ」とはじけてはしゃぐ時間も、こどもにとっては大切だということをお忘れなく。
お行儀は、口で何度いってもダメです。言葉だけじゃ抑止効果はありません。だって、大人だってお酒の飲み過ぎとか、タバコの吸いすぎとか、甘いもの、油っぽいものの食べ過ぎとか、言葉で聞いたら「よくない」ってわかってるけど、そうは言ってもやめられないではありませんか。園長もこれは我が身にてらして確信を持って言えます。そんな大人の自分はどうしたら変わるだろうかと、考えてみるべきではないでしょうか。禁煙、節酒、ダイエット!ああ、どうしたら。工夫して考えたら、こんなのはどうでしょうか。それは、そうすることを、こどもが前向きに受け止められるようにすることです。しばらく静かにしてほしいのであれば、喋らないルールのゲームをするとか、空を鳥が飛んで行ったかどうか注意して見ておいてもらうとか。お行儀を遊びにする、お願いして役割に変えるのです。そもそも我慢はよくありません。我慢しているという時点でもうアウトです。どんな我慢強い人でも人間のする我慢は人間の我慢、必ずどこかで限界に至ります。だから仏法では、我儘の源を分解しないと究極的には人間は我慢というものができないと言います。だから転じる。我慢ではなくて前向きな何かに変化させるとか工夫した方がいいと思います。これは大人のわたしにも通じることですねぇ。

えんちょう先生