今月のえんちょうのことば

えんちょうが毎月あたまをひねって絞り出したことばです。
お坊さんモードでお話いたします。

せんせいになる

せんせい、先生になると言っても、学校の先生になることを言うのではありません。先生という呼びかたは、学校にかぎらずおとな社会のいろんなところにありますね。ひろい意味で先生を言うなら、先に生まれたひとです。幼稚園のこどもはたくさんのことを学んでいます。何も学んでいないこどもなんていません。むかしは幼稚園児はただ遊んでいるだけだなんて見方をする大人もいましたが、そんな大人のほうが何も学ばず、思い込んだことにしがみついてみっともない生きかたをしているのではないですか。みなさん、よくご存知だと思いますが、教科になっているものだけが学びではありません。箸をつかう、トイレにいく、手をあらう、そんな生きるために不可欠な学びをものすごい勢いでしているのが幼児期です。小学校からは学科というかたちで学びがとらえられるようになりますが、そんな間も学科以外で学ばないといけないこと、訓練しないといけないことは山ほどあるのです。子育ては誰もが先生になることです。先に生まれたから、後に生まれたひとに教えるのです。
ところで、先生というものはこどもの前で授業をしていれば務まるものではありません。どんなに大事なことを語っていても、こどもたちが聞かなければ教育にはらないのです。では、どうしたらこどもたちは聞くのでしょう。おこるとこわい先生だから聞くのでしょうか、ご褒美があると聞くのでしょうか。ふたつとも効果はあると思いますが、こどもに聞いてもらうのにいちばんいいのは、先生がこどもに信頼されていることではないでしょうか。この先生の言うこと、することにはなにか大事なものがある、そうこどもが見れば、授業にかぎらず先生の一挙手一投足が学びになります。教えるとは、これまで知っていた世界から一歩ひろい世界にこどもを連れだすことです。こどもは知らないことをはじめて知るのですから、それはこどもにとってひとつの冒険になります。冒険の手をひく先生に信頼があるかないか、それはだいじなポイントだと思います。

えんちょう先生