今月のえんちょうのことば

えんちょうが毎月あたまをひねって絞り出したことばです。
お坊さんモードでお話いたします。

こどもは勉強する。

 こどもは勉強するのが大好き、って言ったらどうですか。小学生、いや中学生のお兄ちゃんお姉ちゃんもいるご家庭では「うそぉっ!!!」と叫ぶのではないでしょうか。いや、ほんとうです。こども、というか人間は勉強するのが大好きなんです。
 でも、ウチのおにぃちゃん、おねぇちゃんは勉強嫌いだよ、ということがあるかもしれません。たしかにそうにしか見えません。でも、それは、何を勉強しているかによって分けているのではないですか?学校の勉強が大嫌いでも、仕事の勉強が大嫌いでも、なにかひとつ熱心にしてしているものがあるのではないでしょうか。ゲームとか、釣りとか、スポーツとか、SNSするのだって何か工夫したり、あたらしいことを学んでするのではないですか。テレビみて転がっていたって、「へぇ〜」とか、「ほぉ〜」とか、何かを知って唸っているのではないでしょうか、ほんとはなんにも勉強しない人間を見つけるほうが難しいのです。そして、人間はなんにも勉強しないということができない生き物なんです。
 でも、それならなんでウチのこどもは勉強しないのでしょうか。話はよこにそれますが、園長はお掃除がけっこう好きです。洗濯とかもいやじゃないです。どちらも終わると気持ちがいいし。それを発見したのは昨年の緊急事態のときでした。仕事が減って時間が出来たけど、出かけるわけにもいかない。それで普段できないところを掃除したら楽しかった!でも、これは家族には内緒です(もう書いちゃったけど)。だって、「掃除好き!」なんて言ったら、次にくるのは「じゃ、やって。」でしょ。じつはやらされるお掃除は、園長、大嫌いなんです。「自分でやると楽しい」「ひとにやらされると楽しくない」。人間の行動の根っこにはそんなことが埋まっているのです。
 人間楽しいことを求めて生活していますが、「楽しい」とは、「(何であれ)一生懸命にできている」ということです。「一生懸命にできている勉強(仕事)」は、「身がはいらないゲーム」より楽しい。古い言葉で「遊学」って言葉がありますけど、「夏目漱石はイギリスに遊学しました」なんて言いますけど、「漱石さん、イギリスで遊んでよかったね」ではないのです。この「遊」とは「一生懸命やる」という意味なのです。「遊ぶ」とは、幼稚園の教育でも大事なことばです。たまに「一生懸命に遊ぶ学校」なんて変な言いかたをしてしまうことがありますが、幼稚園は純粋に「遊ぶ」学校です。人間生活の出だしにおいて、一生懸命である楽しさを知ることは何事にも代え難い動機です。
 さいごに、「勉強しないおにいちゃん、おねえちゃんはどうしたらいいのさ」。それはきっと、環境によって変わるしかないでしょう。あと、本人に勉強することの動機づけがしっかりとできること。「勉強しなさい!」と言って無駄なのはハッキリしているのですから、本人が「勉強とは面白くないものである」という思い込みから自由になるのを、待つしかないのです。

えんちょう先生