今月のえんちょうのことば

えんちょうが毎月あたまをひねって絞り出したことばです。
お坊さんモードでお話いたします。

こどもをゲーム嫌いにする方法。

 幼稚園児のときはまだいいけれど、小学生になるとこどもがゲームばかりして困る。と、いうことがありますね。たまたまインターネットのツィッターで、こどもをゲーム嫌いにする方法というものを目にしました。うろ覚えですが、たしかこんな内容だったと思います。

・ 今日はゲームをしたかどうかしつこく言う。
・ ゲームの進行に目標を立てて、そのとおりに進んでいるかチェックする。
・ ゲームの得点が悪いと叱る。
・ ゲームのやりかたに口を出す。
・ ゲームができていないときには、どうしてゲームができていないのか問いただす。

うーん、たしかに効果がありそうです。いや、ぜったいあります。でも、たのしいことが無くなっちゃうのはかわいそうでもありますね。これは仏教目線ですが、人間がすることは仕事も勉強も遊びも怠けるのも全部一緒なんです。キツイ言い方をすると全部「苦」です。なにをやっても、思い通りになっても、思いどおりにならんでも、結果的には満足できないということです。それを人間は妄想して「たのしー!」と分けている。勉強はつまらん、ゲームはたのしいというのもこどもの「思い」なわけです。だって、聞いたことありませんか? 大昔、学校に行かせてもらえなかった頃のこどもたちは勉強がしたくて仕方なかったというお話を。だから、なんで勉強は嫌いでゲームが好きかというと、「勉強しろ!」と言われるからです。「ゲームしろ!」と言われないからゲームがしたくなる。純粋に「学び」という視点で見るなら、ゲームをするのも学びです。ゲームにはひとを夢中にさせる工夫がありますから、園長はいっそ勉強内容を全部ゲームにしたらいいのに、と思っています。それじゃ、なんで教科書ひらいて勉強するのかというと、それは不快なことにたいして慣れさせる、鈍感にするためなんじゃないかと思います。だって、おとなの世界は不快と我慢でいっぱいだから、嫌なこともする練習を学生時代をとおしてさせるんじゃないかと思います。教科書は内容を覚えるために読むとつまらん読み物になります。かえってこどもの学びの「芽」をつんでいるんじゃないかと思うくらいです。だから人間の先生が大事なんです。教科書を土台にして、いかに学ぶことのたのしさにこどもたちを遭わせることができるか、それが人間の先生の価値なのではないでしょうか。はなしがズレました。はじめに戻って「こどもをゲーム嫌いにする方法」、なんか見覚えはありませんか?ゲームを勉強に置き換えて読むと、日頃親として、してしまいそうな事柄にみえませんか?園長は親として心に汗をかきました。

追記 園長はゲームを褒めましたが「ガチャ」は要注意です。あれはゲームが楽しいのではなく「賭博」というハマりかたです。重症化すると依存症になるので要注意です。依存症にしないいちばんのほうほうは、ゲーム以外にもたのしいことをすることです。家族でキャンプとか、運動するとか、本を読んであげるとか。たのしい思い出になるようなことが大事です。

えんちょう先生