子育てと言えばハウツー。「こんなふうに育てたらどんな子になった」というカタチの子育て方法が子育て本、子育ての講演、幼稚園教育に通底していると思います。そんなのあたりまえ、ではなくて、よくよく考えてみたら要注意なことでした。なぜなら、「どんな子どもに育てる」というときに、その「どんな」を決めるのは大人だからです。大人は「善かれ」と思って子育てをします。習い事があったり、家での役割があったり。そのことが子どもたちの経験になり、どんな人間に育つかという素(もと)になります。大人は「善かれ」と思っていますが、大人も人間ですから、その「善かれ」に必ず大人の都合が入ります。大人の欲がでます。子どもに自分の夢を託したい。ときにスポーツ選手になったり、いい学校へ行ったり。大人は「善かれ」と思って一生懸命になります。けれど、それがほんとうに子どもの人生のためになるかはわかりません。プレッシャーが大きくて人生を挫折したり、大人の期待に応えようと無理をして苦しむ子どもが生まれます。子どものために頑張ってきたのに、どうしてこんなことになってしまったんだ、ということが起きます。
仏教に限らず大事な教えとして、「わたしが正しい、と思ったときこそ危ない」ということがあります。人間は「善行」という旗のもとに、とんでもないことを仕出かすことがあるのです。「正しい」ということはブレーキが効かないということですから、危ない。「これでいいのかな」と悩みながら子育てしているほうが安全なんです。残念ながら大人も人間です。善かれと思って必ずしもそうならないのです。だから、子育ては大人の都合が混ざると知ることが大事です。習いごとを止めようというのでない。期待するのが間違っているのではない。ただ、純粋に「正しい」というところに立つことができない。その一点がしっかりしていれば、子どもの人生を損なうほどのことはないだろうと思います。子どもは、究極的には独立した人間です。彼らの人生は彼らがつくるべきなんです。大人は彼らの人生に関わることができる。けれども彼らの人生をコントロールするのではない。大人がコントロールすることほど、子どもの「生きる力」を奪うものはないのではないでしょうか。子育ては人間を育てるということです。「これが正解だ」なんてきっとないのです。よく、子育てに自信が持てないなんて話を聞きますが、自信のない子育てのほうがよほど安全です。子どもが生まれたときに人間は親年齢0歳になります。大人は子どもを先導するのではない。子どもを自分の隣に置いて、手を繋いで一緒に歩いてゆく。そんなイメージの子育てのほうが無理がなくていいんじゃないでしょうか。
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