今月のえんちょうのことば

えんちょうが毎月あたまをひねって絞り出したことばです。
お坊さんモードでお話いたします。

「子どもをまもろう」

 参議院選挙がおわりました。山本太郎さんのれいわ新撰組から、安冨歩さんという候補者が出ました(落選なさいましたが)。「子どもを守ろう」というただ一つのことを選挙活動を通して主張したという記事をみて、関心を持ちました。みなさんご存知じゃないですか、「女性装」の東大教授のひとです。実は園長は「女性装」をなさる以前に安冨さんの本を読んだことがあります。髭もじゃでサングラスのおじさんを裏表紙か何かで見ていましたからほんとびっくりしました(余談)。
 安富さんは自分のことを「エリート」だといいます。うーん、なんてイヤな奴なんだと思いますが、京都大学→住友銀行→博士号→東大教授ですから、なかなか真似することが難しい人生を歩まれたのも事実です。それで、ココが大事なんですが、その出世コースの人生をこれっぽっちも嬉しいと感じたことがなかったそうです。受験でも就職でも、著書で賞をもらうのでも、成功した時に感じたことは「ホッとした」これだけだったそうです。世の中で成功するためには並ならぬ努力が必要で、成功した人間はその並ならぬ努力をしてきている。だけれども、そんな並ならぬ努力をするのは「成果を上げなければ、生きている値打ちなんかない」って心の底から思っているからだといいます。それで安冨さんご本人は、五十年も苦しんできたというのです。ほんといい大学に合格したのは「合格しなかったら死ぬ」って思っていたからって。そして、「そんなふうに子どもを育てるのは虐待だ」というのが安冨さんの主張です。だから、「子どもをまもろう」なんですね。立場として成功して「エリート」になっても、心のなかは常に誰かに叱られるんじゃないか、何か言われるんじゃないかと怯えている。だから、自分より強い立場の人間と戦う勇気を育まれず、不当なことでも黙って従う大人になってしまう。安冨さんは「エリート」をこう分析しています。
 どう「子どもをまもる」のか、「自分自身が自分自身であるということを受け入れている人、自分がおかしいと思ったら、おかしいと思える人。そういう人にしか重要な決定を任せてはいけません。」これが子どもをどう育て、まもるということのヒントになると思います。自分の存在を人質にされて、親や社会の要求に従わせられることのない育ちの環境。それは、悪ガキだっていてもいいということです。影の薄い子が無理に活躍する必要もない場所です。私自身幼稚園の園長をやって十年になりますが、十年前はじめて会った園児はすでに高校生になりました。影の薄かった子が立派に行動的な子になり、悪ガキが何故だかしっかりした子どもになるという事実を見ています。だから、子どもの個性を認めて成長を待つことも、大事な子育て方法だと思います。あと、自分で考えることが大事でしょう。
最後に、「子どもを躾ける権利なんか大人にはありません」と安冨さんは言います。私たちが必要としているのは「おびえない、やさしい、強い心を持った人間」だと言います。

えんちょう先生