人間にはやっかいな性分があります。それは、基本的に自分のことを悪いと思わないことです。なにか不都合なことがあると、まず頭にあがるのは「〇〇のせいだ!」ということです。たしかにみんなで社会生活を営んでゆくために責任の所在を明らかにすることは大事です。でも、そういうことじゃなくて、人間は基本的に何事も他人のせいにしがちな性分を持っているということです。それをテルアビブ大学(イスラエル)の心理学、ラハブ・ギャベイ先生はTIVと言います。TIVとは、Tendency toward Interpersonal Victimhood(対人関係での被害者意識に対する傾向)ということで、これがおおきいとひとに迷惑なだけでなく、自身の人生を暗いものにします。そのTIVとは、
1 被害者が加害者だけでなく社会全体に認知されることを執拗に求める。
2 被害者が道徳的に優位であり、被害者以外のひとは道徳的に劣っているとみなす。
3 被害者は自分勝手な行動をとってもよいと考える共感性の欠如をもつ。
4 自尊心を傷つけられたエピソードについて延々考え込んでしまう後ろ向きな傾向をもつ。
ということで、さらに、この傾向が強い人間は復讐心が強いだけでなく、他人を許そうとしない気持ちまで高いとのことです。
どうしてこんなことになってしまうのか。このTIVの傾向はまず、国や社会によって形成されるといいます。みんな他人を攻撃して文句ばかり言う社会ならTIVのおおきい人間になるということです。でも、国や社会なら仕方ない、、、とは、言えないですね。だって、TIVの4つの傾向、絶対に人生を暗く苦しいものにしますから。そこで、何かできることはないのでしょうか。
ここでひとつあげられているのが幼児期の教育です。育てるひとに攻撃的に接せられた、気持ちをわかってもらえなかった、生活に指針がなかった、ということでTIVの傾向はおおきくなるということです。職場、学校などの集団では、リーダーが被害者のようにふるまうと、人々は攻撃的になってもかまわない、他人を責めてもかまわない、他人を傷つけても責任をとらなくても構わないと学ぶということもわかっています。国や社会のせいだとあきらめてしまう必要はないのです。できることはあるのです。幼児期が重要なんです。
追伸、ひとのせいにばかりするのはよくない。だから自分のせいばかりにするというのでは解決になりません。仏教でも「ひとのせいにする」ということは「常楽我浄」の「浄(わたしは悪くない!理由はないけど)」という人間の性分として明らかにされています。要は都合のよいことも、都合のわるいこともキチンと受けとめて、他人のことも思いやって生活するということではないでしょうか。