今月のえんちょうのことば

えんちょうが毎月あたまをひねって絞り出したことばです。
お坊さんモードでお話いたします。

そこがぬける!

 どろんこ遊びがはじまりました。昨年は新型コロナ感染予防策として、どろんこ遊びを中止しました。けれども、今年はクラス単位でどろんこ遊びを行うことにしました。どうしてそんなにどろんこ遊びが大切なのか、それは「そこがぬける」ということにあると園長は考えています。「そこがぬける」とは、これをやったらダメだ!これを外したら大変だ!という生活のそこが抜けて、新しい生活世界を発見することです。
 どろんこ遊びをはじめると、必ず汚れることができない子がいます。たしかに日々服を汚されていたら、保護者のひとはたまったものではないと思いますが、それはこどもたちにも伝染して、どろんこになることができない、服を汚すことができないのです。そういうこどもたちの様子をみながら先生は、おだてたり、なだめたり、強硬手段にでたりしてこどもたちをドロドロにします。泣いて怒る子もいます。それでだんだん汚れてドロドロになると、こどもたちの顔が明るく生き生きとします。汚れすぎて、もうどーでもよくなるのです。ここにひとつ新しい世界の発見があります。思っていた生活からはみ出したら楽しー瑞々しい世界があったのです。その驚きと喜びを「そこが抜ける!」と表現するのです。
 人間は自然を遮断して人工物のなかで生活します。しかし、もともと自然のなかから生まれてきたものが人間です。人間はたとえ人工物のなかで生活していても、自然から完全に離れて生きられません。だって、水だって、空気だって、お米もパンもカレーライスも全て自然由来のものですから。それから、人間がいくら人工物を造って頑張ってみても、私たちの体内には自然があります。身体の活動は人工物でなく自然です。腸内で生きている細菌の数は人間をかたちづくる細胞の数より多くて、食べ物の好みとか、性格とか、ぜーんぶその腸内細菌たちに左右されているのが私たちなのです。どろんこ遊びはその自然に密着する遊びです。自分でつくったものに囲まれて、自分で思ったことに縛られて、キュークツこの上なかった心がもともとの世界に里帰りする遊びです。
 解剖学者の養老孟司さんは、ほんとうの学習には知覚が不可欠だと言います。知覚とは見たもの、聞いたもの、それだけじゃない、肌で感じたもの、匂いを嗅いだもの、味わったものです。現代人が学習だと考えていることは知覚が足りないのではないでしょうか。泥の味を知っていますか?匂いがわかりますか?肌ざわりは?こどもたちは丁度それを体験しているところです。

えんちょう先生