浄土真宗で大事とするお経に「無量寿経」というのがあります。年長さんが「こども報恩講」でお勤めする「嘆仏偈」これは「無量寿経」の出だし部分なんです。なかみは、むかし法蔵という王様がいて、仏さまになりたいと願って誓いをたてたという、その物語をかたちとして仏さまになる道が説かれています。その中で法蔵はお師匠に「どうしたら悟れますか」と尋ねます。すると世自在王仏という名の師匠は「汝自らまさに知るべし」(自分で考えなさい)と答えるのです。別に世自在王仏は意地悪な仏さんじゃないのです。これは大事なことほど教えることが不可能だという事実に立っておっしゃっているのです。
これから自転車の練習をはじめる子もいると思いますが、自転車はどれだけ教えられたって乗れません。練習を手伝ってもらったり、補助してもらったりしても、最後の一番肝心なところは自分で身につけなければ、自転車に乗ることは不可能です。泳ぎもそうですね。算数も解き方を教えたりしますけど、あれも最後は自分でわかって身につくのですね。どんなに言葉を尽くして教えても、ピンと来ないうちは、どれだけ教えられたってダメです。ああ、そうです。やっぱり最後は自分でわかるんです。だから別に悟りでなくとも、大事なことを教えるときに不可欠なことは、時を待つことです。自分でわかるのを待つことです。もちろん何もしなければ「その時」は来ませんから、練習したり、説明を聞いたりはしないといけないですけどね。でも、最後は自分でわかるんです。ここがハッキリしないと「なんで出来ないのよ!」「なんでわからないのよ!」「あんなに教えたのに!」となります。教え方がわるい可能性だってあります。本来的に教えられないものを教えようとするので無理がでてることもあります。
「最後は自分でわかるしかない」この真実が教える側にわかっていれば、無駄にイライラしなくてすみます。「最後は自分でわかるしかない」ってことは、本人の「やる気」「興味」が大きく習得に関係するってことです。「がんばらせる」のではなく、「最後は自分でわかるしかない」から組み立てたら、日本の教育も変わるのではないでしょうか。
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