子育ての状況は変化し続けます。YouTubeの一般化でインターネットは幼稚園児にまで身近なものになりました。そんななかで、こどもたちのタブレット(iPad)使用が心配されたりします。新しい環境はつねに批判にさらされて登場します。いまの子育てがよいのか悪いのか、結果をもとに判断するころにはこどもはみんな育ってしまっています。「いま」というのは常に判断保留なものなのです。そして、昔が正しいとも言えないでしょう。現に、私たちは問題だらけの世の中で生活しています。
大人は自分が育った時代を肯定しすぎる傾向があります。大人は自分がきちんと育っていると思っているのです。いや、きっと「私はちゃんと育った人間である」と思いたいのでしょう。だから、自分の子供時代に比較して、今の子育てにケチを付けがちです。小学校から高校までエアコンがはいると聞くと「私が子どもの頃は、、、」とはじまります。そのくせ帰宅して一番最初にリモコンのスイッチを押すのは誰でしょうか。
きちんと育った大人とは、それは人間が考えた中にしかありません。きちんと育った大人というものを想定したら、当然きちんと育っていない大人というものも登場します。上手く仕事ができなければきちんと育っていないと言われ、犯罪を犯せばそれこそ普通でないひとに種類分けされる。なんでそんなことをするかと言えば「怖いから」です。自分がきちんと育っていないとか、普通でないとか思うのは、自分の存在意義が揺らぐ怖いことだから、不都合な大人をどんどん普通の外に追い出して差別するのです。でも、そんなことしたって、人生に失敗した人を切り捨ててゆくばかりになって、ほんとうに住みやすい国に住むことにはなりません。
こどもを健常児と障害児とに線引きするのはどうでしょうか。こどもはそれぞれ違って生まれてきます。それぞれ違いますから、何らかのサポートが必要なこどももいれば、何もしなくてもいいようなこどももいます。サポートが必要だからといって劣っているわけでなし、サポートがいらないから問題がないわけでもありません。そこで、「障害がなければ、みんなこどもとして同質である」という考えは根本的に間違っています。とくべつ障害が見当たらないから健常に括られる。健常なこどもは、一律に教育を施せばちゃんと成長する、そんなことはないです。怒りっぽいのもいれば泣き虫もいるでしょう。こどもはやはりそれぞれに手をかけて育てるしかないのです。やんちゃならやんちゃなりに人と協調して生きて行けるように。影が薄くても人に必要とされる役割りをできるように。人間は工場で自動車をつくるように育てられないのに、勘違いしているのです。
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