今月のえんちょうのことば

えんちょうが毎月あたまをひねって絞り出したことばです。
お坊さんモードでお話いたします。

コロナ2

 緊急事態宣言が解除になりました。羽咋市の登園自粛要請も5月いっぱいまで。ずいぶん辛抱した思うのですが、まだこれで終わりではありません。新型コロナウィルスの流行がほんとうにおさまるのは、この世界中のどこからも新型コロナウィルスが消滅するか、治療薬が作られるかまでです。治療薬は通常2年から3年かかるといわれます。ですから、これから2年ほどは、新型コロナウィルスの流行を抑えながらの生活に変わります。長期の感染予防生活なら、仕事をしないわけにいきません。学校にいかないわけにいきません。けれども、「三密はダメよ」と、「要マスク」の生活は継続します。これはもう、昨年までの生活に戻そうと考えないほうが明るいと思います。あきらめるということがありますが、もともとは仏教用語の「諦める」。努力しなくなるのではなくて、明らかに事実をみて、できることをやるのです。感染予防の辛抱もありますが、辛抱ばかりでは生活が暗いですね。ここにきて新型コロナウィルスの特徴がわかってきていますから、それをもとに出来ることと、出来ないことの基準が決まると動きやすいと思います。そうです、ある意味で工夫と創造の生活がはじまるのです。あれもダメ、これもダメの辛抱生活を、できることの中から楽しみを見つける生活に変化させるわけです。そう考えると園長はわくわくします。幼稚園ではいま、先生があたまをひねっています。できる範囲で園児たちの育ちになにができるのか考えています。わたしたちのご先祖もたいへんな疫病の時代を生き抜いてきました。SFにはウィルスによる人類滅亡というはなしが出てきますが、人類滅亡ならウィルスも滅亡です。ウィルスを知る学者さんは、ウィルスで滅亡まで行くことは考えにくいとおっしゃいます。わたしたちの生活はこれからも続くのです。ですから、どんなふうに工夫したらいいか、楽しいかが大事です。工夫は仕事を好きになるポイントです。こどもをほんとうに伸ばすのも、工夫と創造です。生きているといろいろな目に遭います。そんなとき、暗くならず、他人を攻撃したりせずに明るく、柔らかく、ハッキリと諦めて生活する。それがこどもたちの得難い育ちの機会になるのだと、園長はかんがえております。ピンチのときの大人のすがたが、こどもたちの最高のてほんなのです。

 追伸「三密」も、もともと仏教の言葉です。真言密教の教えなので浄土真宗の園長には縁がないのですけど、日本語ってほんとうに仏教用語が多いのですね。

えんちょう先生