時事ネタがつづきます。今月は、「ホームレスの命はどうでもいい」と言って炎上したあのおはなしについて。あのはなしでは、つまるところ「社会的に役にたたない人間はいないほうがいい」という内容だったと園長は聞いております。それで、そういう考えをもとにして、実際に何人も障害のある人を殺害した事件もありました。そんなことがあると、みんな「けしからん!」って怒って炎上するのですが、「社会的に役にたたなくてもいのちは大事」ということについて、ひとつはっきりとしたことばが挙げられていないように思います。「いのちはだいじ」と言ったときに、ちょっと自信がないのです。
それはきっと、わたしたちの生活が、役にたつものをとって、役に立たないものを捨てることでできているからではないでしょうか。ひとは、子供のころから「役にたつ人間になれ」と教えられて大人になります。部屋を見渡しても、役にたたないものの居場所はゴミ箱しかないでしょう。都会では、街角に不要なものはひとつもない。標識、ベンチ、看板、信号機、役にたつもの、それに意味があるものだけで出来上がっています。そんなところで生まれてからずっと生活していれば、なんの役にもたたない人間が生きていることを承知できなくなるのではないでしょうか。「あなたはなんで生きているの?」と聞かれたらどのように返事したらいいでしょう。家族を養っているから?自分がいないと仕事が動かないから?生きるということについて、わたしたちはなにか説明できなければいけないと考えるようになったのではないでしょうか。
人間は役にたつから生まれてくるのでしょうか、いのちは役にたつからはたらいているのでしょうか。ほんとうは、生きているということは、役にたつ、役にたたないことと全く関係ありません。だから仕事を定年になっても心臓が止まったりしません。社会的に何の役にたつことも出来なくなっても、わたしの身にいのちがはたらいているうちは生きているのです。もうすこし突き詰めて言えば、生きていることは善悪も関係しません。悪い人間だって寿命だけ生きます。いのちというものは、人間の考え、価値のうえにはたらいているものではないのです。それを人間の考えで意味を与えようとしたり、理由をつけようとするから拗れるのです。
いのちは人間社会の価値のそとがわのものだ。それを忘れてしまったから心が窮屈になる生活になったのではないでしょうか、「生きていることに理由なんかいらない」このことひとつで安らぐことができるのではないでしょうか。最後に、現在パラリンピックが行われていますが、あれは努力の世界ですね。仏教では、不満を動機にしてほんとうの努力はできないと言います。ひとがほんとうにちからを尽くして努力するのは、満足と安心のうえであると教えております。
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