新型コロナウィルスが流行して2年目。歴史の教科書でみた疫病が身近なことになるとはついぞ思いませんでした。そういえば、東日本大震災までは、津波のことをギャグみたいに考えていました。つくづくどんな目に遭うかわからないものだと、お坊さん視点で実感するのですが、やっぱり大事な内容は子育てです。
人間、生きてゆくということはいろんなめに遭ってゆくということです。なにもひどいめに遭うばかりじゃありません。いいめにだって遭うのです。そこでポイントは、いろんなめに遭う人間として、どんなことが大切かということです。苦難に負けないたくましい人間になってほしいと普通は思うのではないでしょうか。でも、みんな人間なんです。超人的な強さを発揮するのは漫画やゲームにはよくあることですが、自分が「がんばりなさい」と要求されたらとてもできるとは思いません。強いに越したことはないと思うのですが、強いものほど限界を超えたら折れる。そう、がんばって強く生きていたひとが一度折れたらもうダメだったという話は多々あります。第二次世界大戦のとき、ユダヤ人の強制収容所に入れられて生還したヴィクトールフランクルという心理学者のひとがいます。フランクルさんは、過酷な収容所を最後まで生き抜いたのは、強い人間ではなくて、どんな状況の中にも笑いと、美しさを楽しむ心をもつ人間だったというお話をされています「夜と霧」。園長は、それをきっとやわらかい心だと思います。強いのではなくてやわらかいのです。やわらかいものは、いかようにも曲がりますから、折れませんね。ひとの心もそうだと思うのです。人間まじめになると「こんなときに笑ってはいけない」とか、なりますけど、どんなときにも笑うことを発見できる人間のほうが生きるのです。じつはこどもがそうです。コロナが流行して、いろんな行事がとりやめになったり、縮小になったり、いちばん凹んでいるのは大人です。園児たちをみているのですが、いろいろ制限の多い幼稚園生活で気の毒だと思うのですが、園児たちは全然そんなことないです。いつも楽しいことをみつけて喜んでいます。教育と言ったら、未熟なものに教えることのように考えてしまいますが、逆にいいところを残してゆくことも大事な教育ではないでしょうか。今回は強い心よりやわらかい心がいいと申しました。どうやったらやわらかい心になるのかではなくて、かれらはもうじゅうぶんにやわらかいのです。子育てをとおして残してゆくべきことを見つけました。