世界を動かすのはエリートと呼ばれる人たちです。みなさん立派な学歴、経歴を持って政治に、経済に指導力を発揮しておられます。ところが、このエリート層が世界的にアホ化していると指摘された学者さんがおります。フランスの歴史学者エマニュエル・トッドというかたです。学歴も経歴もある人たちがアホであるとは、なかなか受け取りがたいですが、トッドさんのおっしゃる知性とは、はたしてどのようなものなのでしょう。
子どもの学力は低下しているとのことです。6歳から10歳までのあいだに読書すると、脳の成長過程的にとてもいいそうです。昔のこどもは読書しました、それに比べてこの頃の子どもは本を読まない。いや、そういうこともあるのですが、昔の子どもは、本でも読むか退屈するくらいしかなかったそうです。本も大事だけれど、この退屈ということが人間を育てる大きな経験になっているとトッドさんはおっしゃります。子どもは退屈したらどうするか、それは工夫して遊びを発明します。遊び道具が何もない野原で、枝や石ころ、葉っぱをつかって遊び自体を発明します。それこそが人間の知性というものだというのです。現代生活では、子どものあそびも経済活動の一部に飲み込まれたところがあります。経済活動からすれば、子どもも、大人だって退屈させないことがお金儲けのタネになるのです。ですから、テレビの登場以降、子どもも大人も退屈しないためのものは、山ほど買えるようになりました。人間は経済活動によって退屈することを奪われた面があるのです。
エリート層のアホ化のはなしにもどしましょう。トッドさん曰く、エリートは勉学に忙しく、キャリアをつくるのに忙しく、受験競争が激しいほど退屈な時間を経験していない。覚えたことは山ほどあるけれども、知性的に考えた時間はない。知性的に考えるとは、人生とは何か、とか、ひとはどうして生まれて死ぬのかとか、自分とは何かということです。人間はひとりで考える時間が大事。とくに15歳以上の若者は、いちど世間のレールから外れて人間の根源的な問題に向きあうことが人物の成熟につながるが、現在のエリートにはその時間もチャンスも失われている。結果的に学歴エリートがかえって愚かになってしまうと指摘されています。うーん、なるほど。
園長が幼稚園でいちばんいい遊具だと考えているものがあります。それは毎年積み上げられる砂山です。砂さえあればいい。あとは園児たちがかってに発明します。これが幼稚園教育の要です。あらためて砂山を大事にしようと考えたのでした。