こそだての目標とはなんでしょうか。きっと、自分だけで生活できる大人になってもらうことでしょう。親が死んでもだいじょうぶになったら、親として任務完了ではないでしょうか。ちょっと寂しいかもしれないけれど、それがいちばん安心ですね。
自分だけで生活できる人間をそだてるのに不可欠なことは、こどもの手をしだいに離してゆくことでしょう。それには不安がくっついてきます。こどもがちゃんとできなくて、恥ずかしい思いをしたらどうしよう。悪いみちに入ったらどうしょう。過干渉の親が問題とされる時代でありますが、こどもを思う心が原因でもあります。でも!過干渉だとこどもは自立しないし、場合によっては親との関係が壊れてしまうこともありますから、やっぱり過干渉には要注意です。
こどもの成長にあわせてしだいに手を離すのが難しいのは、不安だからです。たしかに親が手を離したら、どこでどうなってしまうかわからない。
そこで、だいじな親心とは、こどもを信じるという心です。わが子を信用してはじめて、手を離してまかせることができるのでしょう。そして、こどもを信じるとはどんな心か、親自身が自分の心を深く見てゆく。こどもを信じることが難しいのは、手を離したらこどもが悪いことをするんじゃないかという気持ちがあるから。こどもが悪いことをしたら結局困るのは親だから?。そうやって親の心を深く見てゆく。
「あなたのこどもを信じてください。」「わかりました!」みたいなことが言われるけれども、信じるというのはとてもハードルの高い心なんです。「こどもが悪いことをしたらどうしよう」という不安を振り切るのは、こどもが悪いことをしても引きうける!という心です。こどもがこどもであるうちは、親としてどこまでもついてゆく。たとえどんなことになっても、自分のこどもとして引きうけていくという覚悟です。どうですか、そんな覚悟はできますか?。でも、不思議なことに親にそんな覚悟があれば、こどもはなかなか悪いことができない気がします。
こそだては、親をそだてるしごとです。親が親の心を深くみることがなければ、親はそだたず、こどももそだちません。自分のこどもを信じてゆけるか、そのなかみは日々の生活のなかにあります。こどもとの関係のなかにこどもを信じられる種がうまっています。